サラマンジェの夏のデザートに、フレッシュチーズとホイップクリームを混ぜ合わせて晒(さらし)に包んで水分を絞ったものがあります。
名前を「クレメ・ダンジェ」といいます。
表面に晒の布目がついてまるで木綿豆腐のようなものが出来上がります。実際私は店でそう説明してますが、この説明が的を射ているとは私も思ってません。あくまで見た目のことで単なるウケ狙いですからサラッと聞き流してください。
で、ごく稀になんですが、「それって、クレーム・ダンジュでしょ?」と言うお客さんがいるんですな。はい、そうですね。認知度は圧倒的に「クレーム・ダンジュ」でしょう。
クレメ・ダンジェは仏語で書くとCrémets d’Angersです。
日本ではパティシエの島田進氏が考案した(※1)「クレーム・アンジュ Crème Anjou」が広く人気を集めるところとなりまして、こちらが定着したものと思われます。
AngersはAnjou地方の一都市名でありますから、ざっくり言うとどっちでもいいんですよ。ところが、このAnjouの語を、発音がよく似たange(天使)に置き換えた「天使のクリーム」というとてつもなく赤面してしまうネーミングもそれなりにハバを利かせているのであります。
これが単なる間違いなのか意図的にそうしたものかは私は知りません。ネーミングはそれぞれのご自由ですからね、お好きにしてくださればいいと思いますよ。
けど、「オヤジフレンチ」を標榜するサラマンジェではとても採用できませんな。メニュー説明のたびにこの言葉を口にするのは男としての尊厳が許さないのです。(※2)
おしゃれなカフェの「天使のクリーム」とオヤジフレンチの「木綿豆腐」は実は同じものだったんですなぁ。
さて、crèmeはもちろんクリーム(※3)のことですが、ではcrémetsは何か?
このデザートの名前。と言ってしまうとミもフタもないのでちょっと調べてみました。
さまざまな説がありますが、その一つ、Angers,frから引用してみます。フランス語がお得意なかたは原文をお読みくださいましね。
1890年のある日の夕方、うら若き女性料理人ルネオームはデザートが足りないことに気付いた。
「どうしましょう!」
そこで彼女は壺の中に残っていたクリームをメレンゲと混ぜ合わせて型に詰め、型から抜いてヴァニラシュガー入りのクリームを覆いかけた。
「クレメ」の誕生である。
なんともおおらかなデザートではあります。
現代のルセットではフロマージュ・ブラン(非発酵チーズ)で作るものとなっていますが、これはモンタニェ伯のラルース・ガストロノミックによって標準化されたもので、「本来の姿とはかけ離れてしまった」と先の文献は述べています。
このテのお話はあとから「神話」のように作られることも珍しくはないわけで、このデザートについて言えば、ある日突然「ポンッ」とできたというより、地域で普通に食されていたもの、すなわち自然発生的にできたものと考えたほうが良いように私は思います。
冷蔵庫もない時代ですから、放置されたクリームはすぐに脂肪層が浮いてクレーム・エペス(固まりかけのクリーム)のようになったことでしょう(これをcrémetsと呼んだのではないかと私は想像しています)。そういったものをただ砂糖をぶっかけて食べていたのではないかと。
おそらくルネオーム嬢が見た壺の中のクリームもそのような状態だったことは十分に想像できます。時代が下ってフロマージュ・ブランで作るようになったのはむしろ自然なことと思われます。
crémetsという語が何を意味するものかは、結局よくわかりませんでした。ご期待に添えず申し訳ありません。
「ルネオーム嬢はのちに《crémets》と名付けた手押し車で売り歩いた」という説明はありました。何をって、もちろんcrémetsをですよ。これじゃあまるで「鶏が先か卵が・・・」のようでなんだか頭がこんがらかりますな。
ところで、サラマンジェのクレメ・ダンジェにはメレンゲは使われておりません。衛生上の理由です。火を通しませんので。
メレンゲが使えれば量が増えて店には優しいんですがね。だから私は今もベンツに乗れません。
※1.「クレーム・アンジュ」(商品名)はクレメ・ダンジェを参考にしたものではなく、島田氏のオリジナルです。
※2.女性蔑視の意図はございません。
※3.生クリームのほか、クリーム状に加工したもの全般も「クリーム」ということがあります。
「男の尊厳」素敵です。だいじなことですな。
女子供にゃわからんこってす。
エスプリの効いたお話、また、楽しみにしております。
ふふふっ(笑)シェフのブログですからお好きに表現してくださいませ。
私も「天使のクリーム」だなんて恥ずかしくて言えません(笑)。木綿豆腐の方が性に合いますし…形状と作り方が分かりやすいです。