大変長らくお待たせをいたしました。
前エントリに頂いたコメントを見ると、皆さん関心がおありなのだということがわかりました。
「皿に残ったソースをパンにつけて食べる〈=Saucer〉のはマナー違反か?」
コレ、調べるのにかなり骨が折れました。
いろいろな意見があります。現代のフランスでもしばしば議論になっている(すなわち賛否両論がある)ようです。
これはその歴史から調べなければうかつにはお答えできません。
今日はちょっと難しいお話になりそうですがお付き合いください。
以下、時系列的にザックリとおさらいしてみます。
ルネサンス期にはあのダ・ヴィンチが食卓での「べからず集」を書き残している。いわく「隣のご婦人のスカートで手を拭くな」(1 「テーブルで痰を吐くな」など驚くべきものが多い。
本格的な「テーブルマナー」のもっとも古い指南書は1530年、オランダのエラスムスが出版した『幼児の精神的礼法』(Civilitate morum puerilium)であるとされている。これは貴族階級の家庭における子供に対する「しつけ」について書かれたものであるが、特に食事の作法に関して長文の一章を当てている。
この書物はその後ヨーロッパの多くの言語に翻訳され、大きな成功を収めた。
エラスムスに拠れば、礼儀の目的は社会の「上層階級と下層階級を識別すること」であるとしている。すなわち、社会の中でいかに振る舞い、自身を表現するか、ということは自らの社会的な地位を決定づけるほどに重要なことであり、特に食事の作法=テーブルマナーは上層階級の者にとって最重要視された。
テーブルマナーは今日的な感覚で「他の人に不快感を与えないこと」や、「同席者への気遣い」といった面もありはしたが、それよりも身分の違いを際立たせるための「コード」であった。
とはいえ、このころにはまだフォークは登場しておらず、王の食卓であっても人々は手で食べていたし、「げっぷ」も満足感を表すしぐさとして下品なこととは見做されてはいなかった。
そして16世紀も終わりのころ、イタリアのメディチ家からすでにもたらされていたフォーク(2が食卓に取り入れられ、食器も各人が自分専用のものを使うようになって、他人との「身体的接触」が嫌われるようになる。それに伴い、食べ物に直接手を触れないことが「より洗練されたふるまい」となっていった。
「以来、おいしいところを探しだそうとソースの中に指を突っ込むのは、不潔でショッキングな光景となった」という。
17,18世紀にはフランス宮廷料理の絶頂期を迎え、フランス式セルヴィスも洗練の極みに達する。食卓での上席権が確立し、食卓は階級社会を映し出す鏡となった。
19世紀になるとレストランが市中に大量に現れ、、革命によって誕生した成金の社交場となった。また彼ら政府の役人や、新興ブルジョワの家では、かつて糾弾し放逐した王侯貴族の宴会に劣らない豪華さを競い合っていたという。
彼らは自らの権勢を誇示するために好都合だったフランス式セルヴィスも復活させ、招かれる側もまた、自身の正統性を担保するため、当時流行り始めた「美食ガイド」の類を読みあさった。
エリートブルジョワの館で催される宴会は単に歓談しながら食事を楽しむものではなく、プロトコル(外交儀礼)であったので、特権階級のステータスを顕示するものとしてテーブルマナーは前時代にもまして複雑なものになっていった。
ふぅ~、お疲れ様でございました。(←これは自分に言っている)
さて、では問題の「Saucer」はどうなのか?
これについては残念ながら私の調査能力でははっきりしたことは解らなかったということを告白します。
ただ、webで調べた限りでは現代のフランスでも「ふつうは(レストランでは)下品な振る舞いとされている」という意見が大勢であります。しかし、皆さんその典拠は示して下さいません。
いつ、どのようにしてそれが禁忌とされたのかについて、ある学者先生からは「革命後のブルジョワ家庭のテーブルマナーに起源がある」というご指摘をいただいたことをご報告するにとどめます。
では現代に生きる私たちはソースが残る皿を前にどうすればよいのか?
「ソースがことのほか美味しくて、Saucerしたい欲求に勝てないときは、ちぎったパンを皿に入れてフォークで刺してするのはよろしい。ただし皿を『洗って』はいけない」のだそうでございます。
しかしこれにも異論はありまして、「パンは手で食べるのにSaucerのときだけ手はいかん、というのは意味がない」とするかたもいます。
また、私自身が数人のフランス人料理人から聞いた話ですが、「食事の後には、皿はもちろんナイフ・フォークまでもパンできれいに拭うことをしつけとして教えられた」そうであります。
それは即ち、料理を作ってくれた人(お母さん)への感謝、おいしかったという意思表示、皿洗いの作業の負担軽減のために。
店の賄いでもみなそうしていました。
ただしこれは家庭の中でのことですから、レストランという公の場所にはあてはめられませんが。
そろそろ結論らしいことも書かねばなりません。といっても私の個人的意見ですが。
思うに今、おカネを出せば行くことができる日本のフランス料理店(正装(3を要求されることもないレストラン)で、「Saucerはマナー違反」という認識が一般にコンセンサスを得ているとは思えませんが、どうでしょう?。
「恥ずかしいからやめて」とおっしゃるかたが同じテーブルにいる場合、「同席者に不快感を与えない」という目的に照らせば、「すべきでない」ということになるでしょうが、どちらかというとこのかたは、ブルジョワ的礼儀作法の教育を受けた、というよりはどこかでそんなハナシを聞きかじって言っているような気がします。
なぜならこれまで述べたようにテーブルマナーは、ある社会階層で認知されるための「プロトコル」なのですから、ジャケットさえ着ていれば許される程度のレストランで、その場にそぐわない厳格すぎるマナーを同席者に求めることのほうがマナーを欠いているように思えます。
そういった知識が必要な場があるとしても、参列を許される人は幼少期からそういった教育を受けているはずですし、何を着ていくべきか悩んだ末に貸衣装屋に走るような庶民にはそもそも招待状は届きませんから心配には及ばないでしょう。
心配があるとすれば、なんかの拍子に間違って国務大臣になっちゃったフツーの人でしょうな。外国の要人を招いて(または招かれて)の晩さん会で、「食べ物に直接手を触れるのは下品」とばかりにパンをナイフで切る(4ようなことをされた日にゃあ国益にかかわりますから。
どうせやるならいきなり喰らいついて歯で引きちぎるくらいのことをしてくれれば「豪胆な人物」として評価されるかもしれませんけどね。高等テクニックですな。
ビストロであればSaucerは歓迎されることはあっても非難されることはないと思われます。手かフォークかはもはや問題の埒外です。
このエントリを書くにあたって意見を求めたかたの中には(先にあげた料理人と同じ理由で)「喜んでくれる人がいるならすべき」と断言されたかたもおりますが、私もこの意見に賛成します。
ただし、フランス(の高級レストランでSaucerすること)には「貧乏くさい」「田舎者」という意見がたくさんあることもご報告しておきます。
結局のところ、レストランでどう振る舞うかは、個々人のリテラシー次第ってことです。コワイね。尊敬と軽蔑の境界は紙一重でございます。
2) アンリ3世がポーランド統治のあと、直接ヴェネツィアから持ち帰ったとする説もある。「ガストロノミ」p102
3) 燕尾服とシルクハットでレストランに現れたら「ハロウィンか?」と思われることは覚悟しなきゃなりませんが、通常の営業で「ブラックタイ」をドレスコードとして指定する店があるというハナシも聞いたことはありません。
4) 「凶器にもなるナイフと、キリスト教信仰における犠牲の象徴である魚との間には、象徴的な関係がある。パンと同じように魚は山上でイエスが分かち与えた食べ物である。また蘇ったキリストが口にしたのも魚だった。(ルカ書24:42)。魚は聖餐のしるしとなり、パンや魚をきるナイフに対する禁忌もよく理解できる」「フランス料理の歴史」p85
このような理由で、パンをナイフで切ることはタブーとされている。魚料理には切り欠きがついた平たいスプーンが用意される。
参考文献:
「フランス食の事典」(日仏料理協会)
「フランス料理の歴史」山内秀文訳(学習研究社)
「レストランの誕生」小林正巳訳(青土社)
「世界の食文化 フランス」北晴一(農文協)
「ガストロノミ」佐原秋生訳(白水社)
http://www.lepoint.fr/archives/article.php/62423
http://www.hku.hk/french/dcmScreen/lang2043/etiquette.htm
すごい!オヤジシェフはサムライですね。読むのに苦労しましたが。ガイジンなもので。ところで質問があります。でも調べて答えてくださらなくても構わないです。僕は日本人の女性が好きですが、レストランでパンをたくさん食べるのがわかりません。もちろん黙っていますが、パンをお代わりして、お腹いっぱいでデザートが食べられない、メインも残す、それではレストランの最大のクライマックスをスポイルしていると思うのですが、ドーナツに行列する彼女が美味しいレストランのデザート食べてくれないと僕も食べられない。日本に来て三年たちましたがまだ特定の日本人ガールフレンドがいません。デザートまでしっかり食べるのは上司の日本人女性ばかり。
はじめまして、リヨン在住のクルトワと申します。
いつも、新しいブログの記事を楽しみにしています。
以前、ガストロノミ評論家の方とレストランで食事をしたとき「レストランでソセする行為ってどうなんでしょう?」と訊いてみたことがあります。
その方は「僕はしない」と言ってた気がしますが、一方、その方の奥様は「私もしないけど、でも、ソースがとても美味しいときは、スプーンをもってきてって頼むわね。あなたもやってみなさいよ。」と言っていました。
そんな方法があったのか!とちょっとびっくりしました。
>シーリーさん
手持ち無沙汰で、なんとなく手元にあるパンを食べてしまっている、という可能性もあると思いますよ。パンが美味しいから、という理由かもしれませんけど。
デザートまでしっかり食べる素敵なガールフレンドが見つかるといいですね。
シーリー君のご意見はごもっともです。
パンを食べすぎてメインが入らない、という光景は私もよく目にします。日本のレストランはパンがおいしすぎるということもありますが、若い女性は経験値が足りないのも一因かと。教育してあげてください。
外車好きの男と同じくらいガイジン好きの女子はたくさんいるように思われます。
ガンバレ!というか、お気を付けあそばしますよう。
それにしても日本語がお上手で。カンペキです。
とあるフランス人がソースが美味だったとき、パンをちぎってひとくちだけすくうってのがお洒落だと聞いたことがありますな。
いわゆるレストランでソースを全部パンに付けて食べる行為ははたから見ていて決してお洒落ではないっすね。
日本語をほめて頂きありがとうございます。グローバル会社で東京駐在は希望者が多く、社内試験は厳しかった!選ばれてからも、日本人の習慣、日本料理のマナーなど教育されます。日本人がパスタを蕎麦のように音を立てても驚くな、これには慣れました。しかし練習しても蕎麦をずずっと音を出すのができません。恥ずかしい。落語のビデオでたまに練習中です。そんな僕が日本女性に教育なんて、ああ。困った。
シーリさん
日本の子供は食事の時に「三角食べ」をしなさいと教え込まれます。
これはご飯、おかず、味噌汁をバランスよく順番に食べなさい というものです。
それで日本人は パン=ご飯 と認識してしまいます。
学校給食でもパンはご飯の代わりとして出されますしね。
ですのでパンを主食としておかずと共に楽しむものだと認識している人は多いですよ。
ソースをパンで拭いたくなるのもその辺が関係してそうです。
マナー的にはいけませんがおかずの汁や味噌汁をご飯にかけて食べるのが好きな人が多いです。
(私もその一人です)
ですので彼女達には
「パンをご飯(主食)だと思わず漬物(口直し)だと思って食べてみてください」と言ってみてはどうでしょうか?
追伸
そばをすするのはつゆやそばと一緒に空気を入れて香りを楽しむためです。
ワインのティスティングをする時にずずっとやるでしょう?あれと同じ。
だからそばだけをすすろうと思わず空気を一緒に吸い込む感じでやるとうまくいきます。
ヒロサト様
一汁一菜のマナーを三角食べ、と教わるのは知りませんでした。ありがとうございます。しかしながら、ワインテイスティングに音を立ててずずっと空気とワインを同時に吸い込むのはフランスのワイナリーの人か、イギリスではオズ クラークスのワイン番組でぐらいしか観られないし、僕のようなただのイギリス人にはやっぱり練習が必要です。イギリスだけじゃなくフランス人もドイツ人も、男なら日本人女性と仲良くなりたい。マダムバタフライやクーデンホーフ ミツコやひめゆりの女性が今の大和撫子ではないかも。とはいえ、着物が着られる女性をエスコートするのは憧れます。まだ若いから、レディにテーブルで意見を言えない、のが本音です。イギリスの女性は‥ダイアナ、セーラ、パメラ、怖いんです。今本社は休みで東京は暑い。オヤジシェフを真似て日本の歴史をもっと勉強します。
↑シェフのブログよりおもしろいね。
大変興味深く拝読しました。
個人的には、すばらしく美味しいソースに出会ったときは1滴余さず味わいたい、
と思う派でしたので少し衝撃の結果でした。
これからはお店の雰囲気なども考えて、ソースがなるだけ残らないような食べ方を心がけようと思いました。
でも、御店のクネルのソースはどうしても残したくありません。なので、パンで拭ってもお許しください。
質問した本人が、ブログの確認が遅くなり失礼しました。
単に良い悪いの話ではなかったのですね
こんなに色々調べていただきありがとうございました。
私も美味しいソースは残したくない派です
サラマンジェのソースは絶品だと友人が絶賛していますので、
下品に見えないように^^;ソースも完食!したいと思います。
私を案内してくれる友人もソース完食派です
そう度々フランス料理店に行かれる経済力はないのですが、行く機会があればシェフの話を参考に・・・
大変貴重な勉強をさせていただきました
ありがとうございます。
*9月に伺うことがきまりました。
こっそりシェフを観察している怪しい人になっているかもしれません
笑ってスルーしてください
今回のテーマ、興味深く拝見しました。
今まで「美味しいソースはパンでぬぐっていただいても良い」と思っていました。
「美味しいもの、手をかけられたもの(心がこもったもの)を残す」のは、私の中でのマナー違反。そのお店の雰囲気を考慮してぬぐいたいとおもいます(笑)
私もパンが(お米も麺もですが)大好きなので、美味しいパンに出会うとついつい手が伸びてしまいます。
それでもメイン、デザート、しっかりいただきます♪
一言「これから出てくる美味しい料理がたべられなくなるよ」と言ってさしあげれば良いのでは。
手間ひま掛けて調べてくださったようで驚きました。諸々の意見があるであろうことは想像していましたが、シェフのご意見に深く頷きます。
私は美味しいソースはお皿に残せないもので、料理につけて食べて残った分はパンで拭ってしまいます。初めてのレストランであれば、その店にふさわしからぬ振る舞いでないか、周囲をよく見てからにはしますが。
はたから見ていて決してお洒落ではないとしても、一緒に食事している友人と楽しく食することの方が大事とも思います。幸いにして私が一緒に食事をする友人にはソースを残さず拭う人ばかりです。
「着物が着られる女性をエスコートするのは憧れ」なんて、いまだにそんな方がいらっしゃるとは驚きます。着物で歌舞伎を観た後にフランス料理を食べに行き、パンもメインもデザートもしっかり平らげる私は、ついニヤニヤしております。
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
楽しく拝見しておりました。
今 パリに住んでいます。
東京では 某フランス料理店で働いておりました。
料理人にとって お皿をキレイにソースを食べて下さる方はほんとに嬉しく励みになります。
綺麗な輝きのあるソースを作るのに気を使い灰汁をとりながら仕上げます。曇ったソースはお客様に提供できないからです。
そうゆう意味から私は美味しいと思ったお店では ビストロでも グランメゾンでもキレイに頂きます。義理の母はアリストクラットです。毎回 レストランで気まずい雰囲気になりますが…母は貧乏くさい エレガントではない。とソースをキレイに頂くのに反対派です。でも
私は頑固にソース拭いを続けて行きます。
わたしも、20年前位に、フランス人イギリス人達とディナーをご一緒した時は、ソースをパンできれいにいただきました。
私は、それを見てから今もそのようにいただいてます。ま
マナーはいつの時代でも「・・だから」と崩れるものではありません
正しいものが正しく流れていくのです
それは教育というものです
教育やお育ち・・大切ですね