少し秋らしくなってきまして、食材も栗やらキノコやらが出回り始めました。ジビエの入荷案内もぼちぼち届き始めております。
サラマンジェでも先週からニホンジカの皿がオンリストしております。かつてはエゾシカを使っていた時期もあるんですが、流通経路が不明だったり肉質も玉石混淆なところがあったりするものですから、ここ5年ほどはずっと現在の“イズシカ”を使っております。正規の食肉処理施設で解体・加工されており、検査体制が整っている点でアドヴァンテージがある上に、若い鹿(つまりバンビ?)だけ欲しいというリクエストに応えてくれるのですこぶる都合が良いのですわ。
え?バンビ食べるなんてかわいそう?そういうハナシはよそでやってね♥
皆様よくご存知の通りジビエとは狩猟によって捕獲された野生の鳥獣類のことです。狩りには銃が使われます。狩猟の歴史の過程から言いますと罠ではダメなのです。
中世以降革命前までのフランスでは銃による狩猟は王侯貴族の特権でありました。彼らが狩りをするのは食料調達のためではありません。狩りは軍事訓練の側面もありますが、所有する広大な森に客人を集めて狩猟の会を催し自らの勇敢さを誇示することは彼らのステータスなのです。そして自分が仕留めた獲物(特に鹿が高貴な獲物として喜ばれた)を晩餐で供する際には物々しいサーベル(伝家の宝刀?)を持ち出して、主人自ら肉を切り分けるのが宴のクライマックスであります。
まあなんといいますか、お金持ちの大自慢大会なわけです。えげつないし食卓にサーベルを持ち出すなんて野蛮極まりないだろって思いますけどね。
時に、このデクパージュは主賓に譲られることもあります。譲られたほうは最大級の美辞麗句で主人を讃えて大喜びでこの「名誉ある行為を仰せつかる」のです。
料理をシェアするお客さんに「おとりわけは男性のお仕事ですよ」と私が言うのはそういう背景があってのことです。
革命後には市中に大量のレストランが現れ「美食の大衆化」が起きるわけですが、新興ブルジョワたちもまたかつての王侯貴族に劣らないほどの大宴会を催したといいます。ただ、狩猟ができるほど広大な領地を持つものはほとんどいなかったので、肉屋で仕入れた肉に銃弾を仕込んでジビエを偽装したなんてこともあったそうです。
さて、今日のテーマはおもにgibier à plumes(飛ぶ系)のリスクについてであります。これまで散々使ってきましたが今年から飛ぶ系のジビエはやめます。
鳥類の狩りでは散弾を使いますから、大型動物のように頭だけ被弾させるということができません。内臓に被弾してることも稀ではありません。弾傷があるということは当然出血もあるし、落ちる場所は清潔なネットの上ではありません。それを犬が口にくわえて回収してきます。食材としてハイリスクなのは当たり前ですよね。
ごく少数のガストロノムだけが顧客なら「食べ物のリスクは自己責任」と言ってもいいと思いますが、「ジビエ」という単語がここまで大衆化するとジビエそのものより”ジビエを食して論評できる自分”が好きなヒトも少なからずいるわけで、そんなヒトがジビエのリスクを理解していると考えるのはそれこそリスクです。「責任」は提供する店側が負わなければならないというのは法の求めるところでもあるのだし。
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生レバを提供する飲食店は論外だけれども、これからはジビエを出す店もそれなりの覚悟が必要な時代になっていくでしょうね。やめる決断をした私は腰抜けです、はい。
そこで私が提案するのはdemi-sauvageです。
日本語では「飼育ジビエ」と言われています。初めて聞いた時はなんじゃそりゃ?と思いましたよ。飼育したものはジビエじゃないだろ、と。これはつまり野生とほぼ同じ環境で育てられた野禽ということです。
私が感じるところでは熟成させるとジビエより美味しくなります。傷がないのできれいに熟成するしリスクが高まることもありません。もちろん弾が出てきてガリッなんてこともないです。何より料理の出来映えが綺麗です。しょうがないとわかってはいても弾の当たりどころが悪い肉を調理するのは気分が良くないし、最悪の場合は商品になりませんから。
まだオンリストにはなってませんが入荷次第始めますので、皆様どうぞお楽しみに。